テツさん、どうぞ安らかに。
- 店主すー
- 3 日前
- 読了時間: 2分

またまた寂しい話題が続いてすみません…。
去る12月4日、ベーシスト・山内テツさんが79歳で旅立たれてしまいました…。
今でこそ日本人ミュージシャンが海外で活躍する事は珍しくないけれど、
「日本人ミュージシャンの海外進出への道を切り拓いた先駆者」として私が真っ先に思い浮かべるのはこの方です。
テツさんと言えば、1970年代初頭に自分の腕を試すため単身で渡英し道場破りをした方。
結果、英国を代表するフリーやフェイセズといったバンドのメンバーになりました。
その功績は、当時どれほど多くの日本人プレイヤーにとって勇気や希望に繋がった事だろうと思うんですよね。
私はロッド・スチュワートやロン・ウッド達と対等に渡り合うその姿を音楽雑誌などで見ながら、同じ日本人としてとても誇らしく思いました(^^)v
今で言えば、大谷翔平選手やブルース・ミュージシャンの山岸潤史さんが米国で大活躍しているようなものですかね。
しかしそれは今とは違い、どんだけ大変な事だったろうと思うんです。そしてテツさんが語ったエピソードを思い出します。
そのころの英国は、英国ミュージシャンを守る為の「ミュージシャン組合」に加入しなければならず、その条件は英国人に限られていたそうです…。なのでテツさんは思うように活動が出来ず苦しい日々を送っていたといいます。
しかし音楽仲間の助けがあり、やっとこさの思いで加入が出来たという…実際は相当なご苦労をされていた訳です。
写真・右下の「ロッド・スチュワート&フェイセズ=ライヴ」はテツさんが加入したフェイセズ唯一のアルバムで、バンドにとっては最後の作品となりました。
私は中学のころからそういった英国のブルース・ロックを聴くようになり、そこから米国のブルースにも興味を持つようになった訳ですが、今思えばエタ・ジェームスが歌ったブルースの名曲「I'd Rather Go Blind」も昔このアルバムで初めて知りました♪
フェイセズ解散後は日本に帰国し様々な活動をされていた事は知っていましたが、「このごろの活動はあまり聞かないな…」と思っていたら、
今年の6月に原宿クロコダイルで嶋田吉隆さんとライヴをやる事を知り「これは絶対行かねば!!」と思っていたんです。
けれど翌日から始まる夏メニューの仕込みに追われ結局行けず仕舞い…(T-T)
またの機会に、と思っていたらライヴ自体が中止になってしまって…行けなかった事が本当に悔やまれます。
テツさん、夢と希望と青春を、そして素晴らしい音楽をありがとうございました!
どうぞ安らかに。
店主すー






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