恩人との32年ぶりの再会
- 店主すー
- 2月12日
- 読了時間: 3分

昨日は、
とっても嬉しい32年ぶりの再会が(^^)v
…思いかえせば、
「いつかお店をやりたい」
などと言う気持ちがこれっぽっちもなかった私が、
何故か32年前ほうぼう屋を立ち上げる事となりました。
実はそのキッカケとなったのは、
私より20歳年上である女性の「Tちゃん」という方との出会いがあったからなんです。
私が岩手から東京に出てきたのは44年前。
最初は「元住吉」に住んでいたのですが、1年後に「阿佐ヶ谷」に移り住みその町で10年生活していました。
当初は、出版の仕事を昼間しながら夜学のデザイン専門学校に通っていたんです。
そんな中、
生活費も学費も全て自分で賄わなければならなかっので、風呂なしの共同玄関・共同トイレのボロアパートに住み、食費もギリギリまで切り詰めなければならないという超貧乏生活でした(^^;;
その頃に本当の意味でブルースにも目覚め、スリーピー・ジョン・エステスやスキップ・ジェイムスなんかをよく聴いていたんですよね♪
けれどそんな生活の中でもいろんな人との出会いがあって、お世話になったりお世話したりと何だか楽しくやっていたんです。
その後音楽を本業にし、飲食のバイトを続けていた時期もありましたが、それについては長くなるのでまた別のお話で♪
話は戻りますが
そんな貧乏生活の中、阿佐ヶ谷の一番街という飲み屋街で居酒屋をやりながらアングラ劇団のマネージャーを続けていたTちゃんと出会いました。
彼女は私を可哀想に思ったかどうか分かりませんが(笑)、とにかく良くしてくれて、ご飯を食べさせてくれたりお風呂を貸してくれたり。
時には、お店でバイトさせてもらったり、劇団の公演の中でシンガーとしてのギャラ有りの仕事を回してくれたり…などなど。
とにかく間違いなく私が東京生活の中でお世話になった恩人の1人でした。
しかし有ろう事か、
ある日彼女がやっている居酒屋が火事で全焼してしまいました…。原因不明のまま、今その場所は駐車場になっています。
へこんでいるTちゃんを見て、
「何か力にはなれないだろうか…」と、
私は新しい店の再開について協力させてもらう事に。
そこで、
彼女は「西荻」という町で心機一転新たな店をオープンさせました!
そして私もその店が軌道に乗るまでの間お手伝いさせてもらう事となり、阿佐ヶ谷から西荻に引越してきたんですよね。
しかしです!
その物件は維持費がメッチャ高く、お客さんは結構入っていたのにも関わらず2年もしないうちに閉店する事が決まってしまったんですよね…。本当に残念でした。
そんな中、行き場を失ったお客さん達から
「すーが新しい店を創ればいい!」
とカツガれ、
それまでお店をやる事など一切考えた事もなかった私が初めて
「店ってどうやって創るんだろう?」とか
「いくらあれば出来るんだろう?」と、
考えるようになったんです。
そして結果、
方々のいろんな人々の協力によって32年前、
今の「ほうぼう屋」は誕生しました。
ざっくり言うとそういう流れなんですが、いろんな事情が重なり、その時からTちゃんとの音信が途絶えてしまったんです…。
けれどこの1年、
何故か私の夢にTちゃんがしょっちゅう出てくるようになったんですよね。
それで凄く気になり、いろんな人伝てにようやく探し当て、昨日32年振りの再会に繋がりました〜!
Tちゃん探しにご協力してくれた皆さま、本当に感謝しますm(_ _)m
80過ぎた彼女ですが、今も現役で演劇に携わるお仕事を続けているという事です。やっぱ流石だなぁと思ったし、とにかく元気で何よりでした〜\(^^)/
店主すー
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