再会
- 店主すー
- 4 日前
- 読了時間: 3分

先日、
ほうぼう屋に長い事通って頂いた常連のYさんが天国へ旅立ってしまい、とても寂しかったです…。
この仕事は沢山の人との出会いがあるから楽しいけれど、人は出会った時から別れのタイマーがスタートしているという事を感じる事も多くなってきました。
けれど、いずれまたあちらで再会出来るだろうと私は思っています。
Yさん、ほうぼう屋を好きでいてくれてありがとう!
どうぞ安らかに。
「再会」と言えば先日、
何と私(店主すー)の初恋の人(?)がほうぼう屋を訪れてくれたんです!それは56年振りの再会で、本当におったまげました〜(O_O)
それもこれも、店をやっているからこその事だと改めて感じたんですよね。
ちょっと長くなりますが、私の幼少期の話しも少し書かせて頂きます♪
実は、
私は小学4年生の時に引越しをし転校もしました。
最初に生まれ育った所は岩手県の江刺市(現在・奥州市)にある「伊手」という町。
その町には「赤金鉱山」という大きな鉱山があって、そこで働く人の為の社宅の他・映画館・野球場などの娯楽施設や、病院・保育所・共同浴場など付帯設備が充実している「巨大な鉱山町」があったんです。
私の父はそこで働く労働者。
つまり私は、「周りが皆んな鉱山で働く人かその家族である」というある意味特殊な環境で幼少期を過ごしたんです。
そんな町で、ある時期「結核」が流行り多くの人が感染してしまいました。
不幸な事に私の母も感染し、何とその時母のお腹の中には私がいたのだそうです…。
つまり、母子感染で私は産まれた時から結核患者だったわけです。
当時もう結核は治療薬もあり不治の病ではなくなっていたのですが、
まだまだイメージや先入観が強く残っていて「結核患者の居る家には行くな」とか「その家の子どもとは遊ぶな」と差別されていた時代でもあったんです。
なので私は家に閉じ籠る事が多く、友達もなかなか出来ませんでした。
…きっとこの頃にブルースへ興味を持つ下地は出来ていたんだろうと思います♪
しかしその頃の記憶で、今でも鮮明に覚えてる場面が…。
それは、友達も出来ず保育所の庭で私が1人ポツ〜ンとブランコで遊んでいた時の事。H君という男の子が私に近寄って来て優しく話しかけてくれたんですよね。
私は「友達が出来るかもしれない!」と嬉しくなってH君にとても好意を持ちました。今思えばそれは「初恋」という感情ではなかったかもしれませんが、私の大切な思い出としてずっと残っていたんです。
引越しを機にH君とはそれきり音信不通となり、
先日56年振りの再会となった訳ですが、聞けばH君は長い間新聞記者をやっていたそう。
当時の面影はあまり残っていませんでしたが、私はその時の事を話し感謝の気持ちを伝える事が出来たので嬉しかったです!
そして今年は、
近所の満開の桜を見ながらブランコにも乗ってみました〜(笑)
店主すー
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