Bluesを抱えながらBluesという音楽を演っていた花岡さん
- 店主すー
- 2024年6月20日
- 読了時間: 3分

去る6月17日、
日本を代表するBluesバンド・憂歌団のベーシスト花岡献治さんが70歳で旅立たれてしまいました…。
実は最近、花岡さんの近況が気になりネットで調べたばかりだったので、
今回の訃報は何だかショックで複雑な気持ちにもなりました。
というのは、
昨年放送されたドラマ「ミワさんなりすます」でほうぼう屋がロケ地となった事がご縁となり、その後お客さんとしてよく来られるようになった、
Reiさんの大ファンである大阪在住のFさんから頂いたDVDを観たのがきっかけだったのです。
そのDVDには、
今から17年前の2007年にNHKで放送された「大阪モラトリアムブルース」というドキュメンタリー番組がダビングされてありました。
そしてそこには、当時14歳だったReiさんが登場♪そして彼女の後ろでドラムを叩いていたのは、何と当時活動停止中だった憂歌団の島田和夫さんだったんですよね。
島田さんはその5年後に悲しい最期を遂げてしまったのですが、
その時何気なく「そう言えば、ベースの花岡さんの近況をこの頃聞かないけれど、今どうしてるんだろう?」と気になった訳です。
しかし調べてみると、とても大変な日々を過ごされていた事が分かり切なくなってしまいました。
花岡さんは9年前に体を壊しライヴツアー先の熊本で緊急入院。
その後熊本地震で被災され、ケガでまた寝たきりとなりそれ以来ずっと熊本で生活しているという事でした。
そして「週刊朝日」のインタビュー記事ではこんな事も赤裸々に語られていたのです。
「正直、倒れる前は音楽が嫌いになっていた。何もやりたい事が思いつかず、仕事のために仕方なく楽器を手に取るという感じ。いつの間にか自分がやりたい音楽じゃなく誰かの為の音楽になってしまったんやね」と。
憂歌団が活動停止した後もそのイメージを背負わされ疲れ果てていたと言います…。
そしてこうも語っています。
「憂歌団は幼馴染みに誘われたから加入したバンド。成功した事は誇りに思うしいい思い出だけど、死ぬ時は『憂歌団の花岡』じゃなく『花岡献治』として死にたいんです」と。
…花岡さんは正に
Bluesを抱えながらBluesという音楽を演っていた、というわけだったんですね。
どんなにやりたい事でも、それを仕事にし情熱を持ち続けるというのは並大抵の事じゃないと思います。
そして憂歌団と言えば、「天使のダミ声」とも称される木村充揮さんの歌声や内田勘太郎さんのギターが前面に取り沙汰される事が多いけれど、
島田さんや花岡さんのようなリズムを支えるメンバーがいなければ成り立たなかったろうと思うんです。
そして花岡さんは長い間、みんなの為に自分を鼓舞して頑張ってくれてたんだなぁと思うと、心から言いたいのです。
花岡さん、これまで沢山の名曲名演ありがとうございました。
もう重たい荷物は下ろしてゆっくり休んでくださいね。
どうぞ安らかに。
店主すー
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